竹中半兵衛

【天才軍師】
竹中半兵衛は豊臣秀吉の天下統一を助けたとされる

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。
父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。

戦国時代、豊臣秀吉(羽柴秀吉)のもとには2人の天才軍師がいました。
1人は黒田官兵衛(孝高・よしたか)、そしてもう1人が竹中半兵衛(重治)です。
彼らは「両兵衛」「二兵衛」などと呼ばれ、秀吉の参謀として活躍したといわれています。

官兵衛はNHKの大河ドラマでも取り上げられるなど日本史上でも有名な武将です

初陣が【長良川の戦い】となり斎藤道三に味方しました。

その後、菩提山城主となって美濃国の国主・斎藤義龍に仕えた

斎藤勢は連年、美濃国に侵攻してくる織田信長勢を竹中半兵衛の策【十面埋伏の陣】で撃退した

竹中氏の菩提所【禅幢寺】

禅幢寺は竹中半兵衛の菩提寺。彼のお墓があります。
竹中半兵衛は天正7年、36歳という若さで肺の病を患い病没しました。
菩提を弔うために墓を移したのが禅幢寺で、今も残っている本堂は、半兵衛の孫・重常が建立したと言われています

【竹中氏陣屋】

岐阜県不破郡垂井町(美濃国不破郡岩手)にあった江戸時代の陣屋。
安土桃山時代には岩手城と呼ばれていたが、江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため、城は陣屋と呼ばれるようになった。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師(参謀)であった竹中重治の子である竹中重門が築いたものである。

元々、竹中氏の居城は堅固な山城である菩提山城(岩手山城)であったが、平時には不便なことから、麓に岩手城を築いたという。