東西出逢いの地 関ケ原

関ケ原は本州のほぼ中央、北の伊吹山地と南の養老山地・鈴鹿山脈の狭間に位置し、 古来より東西・南北の主要な街道である中山道と北国街道、伊勢街道が交差する、軍事・交通の要衝でした。

さらに「壬申の乱」「関ケ原合戦」と二度にわたる東西を二分する大きな戦いの舞台となりました。 その後の江戸時代では、260余年続いた平和のもと、交通の要衝であった関ケ原も、東西が対決する「戦いの地」から、 街道を人々が往来し、東西の多様な文化が「出逢う地」へと変化していきました。

そして、現在の関ケ原には東海道新幹線、JR東海道本線、名神高速道、国道21号といった我が国の交通の大動脈が集中し、 東西交通の要衝としての位置づけは今も変わりません。
かくして、関ケ原では、食、生活様式、言葉などの面で江戸を中心とした東国で発展した独自の文化と、大阪や京都など西国で継承・発展した文化の双方が出逢い、交じり合う地となりました。