明智城

明智城

明智城(あけちじょう)は、岐阜県可児市瀬田長山にあった日本の城。張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な中世の山城である。
可児市指定史跡。康永元年(1342年)美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼(下野守)が「明智」と改名してこの城を築き、その後約200年の間明智氏代々の居城として栄えた。
別名長山城または明智長山城と呼ばれている

歴史

土岐明智二郎下野守頼兼が、康永元年(1342年)美濃国可児郡明智庄長山に明智城を築城したといわれる。
弘治2年(1556年)9月19日、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け、明智城代明智光安(宗宿)は 弟光久と一族の溝尾庄左衛門、三宅弐部之助、藤田藤次郎、肥田玄蕃、池田織部、可児才右衛門、森勘解由ら870余人を集めて籠城したという。
しかし義龍軍は3700余の軍勢で2日間にわたり攻撃を行う。光安は光秀に明智家再興を託し弟光久と自刃し、妻妾も落城前に自刃したという。
一説で、この時道三の死後政略結婚の意味がなくなり、信長によって美濃の母方の実家である叔父の明智光安の明智城に返された22歳の濃姫も この時明智一族と運命を共にしたとの推察がある。
この時、光秀は明智城から逃れたと『明智軍記』にあるが、明智一族も滅んだため墓所も口伝も残らず、 現在証明するものはない。城は落城後再興されることもなかった。

基本情報
会社名/施設名 明智城
住所 〒509-0213 岐阜県可児市瀬田1238−3
電話番号 0574-62-1111 (可児市役所)
アクセス (車)東海環状自動車道 可児御嵩ICより10分
(鉄道)名鉄広見線明智駅から徒歩23分